8 酒保勤務

私が総司令部に勤務する様になり八ヶ月が過ぎました。戦況も怪しくなって来たのか、男子軍属の現地召集の数も増えて来る様になり、代わって女子軍属の人員も其の数も増えて来ました。そして私も古参(八ヶ月)になったのでしょう、配置換えの時期になり私も次の勤務場所が酒保に配置換えになりました。
 
此の場所は総司令部本館の裏口を入った右側にあり、初めての訪問者には一寸見落として仕舞う存在でした。隣は高等官理髪室になっており、高等官食堂と共に、此処は副官部主計室の管理下になっておりました。

勤務の人員も四名で男子雇員一名、男子筆正一名、女子給仕二名の計四名の勤務でした。男子雇員は家族同伴で、他の男子筆生は東京銀座の白木屋に勤務されていたとか、何か此処でも店員さんの延長の様でもありました。
 
更に此の酒保での女子軍属の採用は初めての事の様でしたので、とても親切にして頂、三年間の総司令部勤務の中で、此処の勤務が一番楽しくそして面白い思い出が一杯出来たのも此処の職場でした。酒保の大きさは坪数約六坪程で、中央に机があり、其の部屋の廻りの壁に沿って棚が設置され、其の棚に酒保で販売する商品が並べてありました。
 
ドアーを入ると廊下に面している側に昔の片田舎の郵便局の様なカウンターがあり、其処から品物の物品を販売する様になっていました。一つしかない机も引き出しは付いておらず、二人の女子軍属が向き合ってお店番をする様な格好でした。

販売する物品は日用の雑貨品、煙草そして本館地下室にあるお菓子工場で出来上がったお饅頭、羊羹、最中、桜餅、撃滅パン(今の甘食パン)等でした。これ等のお饅頭、羊羹等は配給制で、配給切符は主計室で配っていましたが、どの順番で、どの様な方々に配給されていたかは知りませんでした。

煙草も全部配給制で将校用にはルビークイン、スリーキャスル等横文字の綺麗な箱で、グリンの箱とピンクの箱でした。タイピストを打字手と呼んだ時代なのに将校用の煙草が横文字を使ったのが不思議な思いでした。日本製の煙草は下士官用で、ほまれ、旭光等がありました。
 
又本館の地下にはお菓子工場があり、毎日お饅頭、羊羹等を日本から来られた職人さん、勿論軍属ですが五人程おられ材料は惜しげもなく使った美味しいお菓子を作っておられました。そして此処で出来上がった羊羹、お饅頭等を包装して販売するのが私達の仕事です。

羊羹は一本ずつ白い包装紙に包んで配給の切符と引き換えに販売するのです。お菓子は季節毎に変わり、春には桜餅等が作られ、其の他最中、甘食パン等が作られていました。そして此れは内地から来た物と思いますが、木箱に詰められた五色豆等がありました。

此の豆の袋が破けていて、四人掛かりて別の袋に詰め替えるのです。代わりの袋が小さいのか出来上がった袋数が増えていて、個人の商店でしたら儲けも多い事と思います。それが時折私達のおやつになったり、宿舎のお友達へのお土産になった事もありました。

厳しい規則の軍隊でも、裏の裏がある事をいっぱい知ったのも此の酒保勤務の時でした。煙草でも主計室の将校の印一つあれば余分に販売も出来たし、此れを利用して内地に出張する将校がお土産に羊羹の箱詰め、煙草等を良く買って行かれました。軍律の厳しい軍隊の中で裏の裏を垣間見る事の出来たのも此の酒保勤務のお陰でした。

十八歳の青春真っ盛りの乙女には、少々刺激の強い勤務場所の様にも感じました。個人商店では御座いませんのでお客様は神様の概念もなく、お世辞や宣伝もなく、大きな組織の中の小さな威張って出来る商店でしたが、矢張り女の子、嫌われない様には心掛けてはいました。













9 軍事教練

其の一 竹槍の槍術訓練

戦況も段々と厳しくなり始めた頃、女子軍属にも竹槍の槍術訓練が義務付けられました。高度一万メートルを飛ぶ爆撃機から爆弾を落とす近代戦の状況下で、
「何でこんな事を・・・。」
と、口には出しませんでしたが皆心の中では感じていたと思います。こんな疑問の答えは教官の方が良く解っていたと思います。

でも当時はこんな事は口に出して話の出来る状況ではありませんでした。慮るに此の訓練は愛国精神向上のための精神訓練だったのです。
地上戦の場合でも前から鉄砲弾が飛んで来るのに、竹槍など役に立つなど誰も考えてはいなかったと思います。それでも皆真剣に、
「えーい」 「やー」 「前えー」 「後えー」
の動作を真剣に訓練していました。

此れは司令部の外にある馬場で行われた訓練でした。近くいた中国人はどんな気持ちで此れを眺めていたかと思うと、一度聞いて見たい気持ちになりました。

其の二 手榴弾の投擲訓練

此の訓練は別館裏の広場で行われました。女子軍属が十名程一列に並び、教官の号令で安全ピンを外し、「いーち」「にーい」「さーん」で投擲するのですが、見た目程簡単には行きません。

運動神経の鈍い私には大変な訓練でした。何回投げても斜めに飛んで行き、其の距離精々五、六メートル、此れでは自爆か、良くても仲間を傷つけると、教官からお小言を頂戴したものでした。悔しい、残念、恥ずかしい、の連続でした。もうこんな訓練は懲々でした。

小学生の頃、校庭で投げたドッチボールの球は結構うまく飛んで行き、強い方の部類でしたが、此の投擲訓練は情けない結末となって仕舞いました。若し戦場であったならと考えると恐ろしい事でした。

そして此の訓練が再度行われる事があったら腹痛か、頭痛を理由に欠席しようと本気で考えておりました。幸いな事に此の訓練も教官の不足か、理由は不明でしたが訓練の時間はなくなりました。



女子軍属の完全武装姿







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送